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2008年2月16日 (土)

週刊ファミ通1000号突破

先々々週の話題ですが、999号、1000号と週刊ファミ通が連続アニバーサリー企画を行っていたので、久々に1000号を購入。
その中では、過去のバックナンバー表紙特集のページが圧巻でしたが、久々に見た「ファミコン通信」のロゴに懐かしさというよりも、フレッシュ感というか、成長期の業界ならではの健全な雰囲気を感じたのは気のせいでは無い筈。
先週から業界関連のニュースが発表されて、色々情報が飛び交っているなか、偶然見つけた
このサイトの内容と併せて、改めて色々考えさせられました。

後、ファミコン通信といえば、1991年頃の紙面に唐突にパチスロ特集が掲載されたのが、自分にとって大きなエポックで、自分のパチスロ、パチンコとの最初の出会いのきっかけがこの記事になります。
その記事の担当者は、ファミコン通信の中でもかなり個性的なライター渋谷洋一氏によるもので、確か題名は、「パチスロをやろう」といったシンプルなものでした。
当時は現在と違い、ゲーム業界とパチンコ業界にかなり距離があった時代なので、ゲーム雑誌の中でもチャレンジ精神のあるファミコン通信とはいえ、ノンタイアップで読者の年齢層を無視した紙面はかなり謎だった。

具体的な内容は、


コンチネンタル 瑞穂製作所        (販売 ユニバーサル販売 現アルゼ株式会社)
アラジン     ニイガタ電子精機(開発 サミー工業 現サミー株式会社)

当時の大ヒット機を2機種取り上げ、ゲーム性の違いなどに言及していた。
記事内の「リーチ目」「アラジンチャンス」「単チェリー」「クレジット内連チャン」といった謎の固有名詞に想像を巡らせながら、文面の異様なテンションの高さに興味を押さえられない自分を思い出します。

これを読んでしばらくしてから、実際のホールに出向きコンチネンタルをプレイしたのが、自分の初パチスロプレイになりますが、元々、知人の影響でアーケードのシューティングゲームを嗜んでゲームセンターに4年程通っていて、いわゆる「外出して、街中の店舗で硬貨を機械に投入する娯楽」に対してのハードルが低かったのも幸いしていたと思います。ゲームセンター自体にもメダルゲームのスロットや本物のパチンコ、パチスロ(ドラゴンフィーバー等、今で言う8号転用機)も設置されていたので、妙な親近感もあったし、実際、メーカー直営店でもパチンコ店の2階や地下にロケーション展開している時代でもありましたので、場末娯楽の仲間と感じていた側面もあった。

もう一つの伏線としては、同時期にファミコン通信で連載されていた「しあわせのかたち」(桜玉吉著)内で、ゲームキャラや作者がホールで楽しそうにパチンコでしている光景がしばしば描写されていて、玩具店で即品切れになったSFC版のスターフォックスを入手するために、パチンコ屋の景品にあったソフトを玉吉がパチンコで勝利してGETするエピソードもあったりして、自分的にもパチンコに少し興味を持ち始めたあたりでした。
(「ダイナマイトで連チャン」という具体的な機種名が出たエピソードもあった)
「しあわせのかたち」に描写されていたマンガ家生活はとても楽しそうで、幼少期に読んだ赤塚不二夫作品内に登場するフジオプロの光景にイメージが近かったです。
東宝円谷怪獣のフィギュアに囲まれ、スーファミでマリオカートして、目の前の高速道路を走る街宣車から伊福部サウンドが流れる中で原稿を夜中片付けて、その合間のパチンコプレイが楽しく見えないわけないです。
まあ、現実はもっと色々あるのを30代になって自分も思い知るのですが。

この記事に出会わなくても、ゲーム業界と7号業界の関係を考えたら、いずれは自らホールに足を運んで千円札をサンドに投入する事になったとは思いますが、技術的に液晶デバイスなぞ当然無くビジュアル表現は不可、PCMによる音声再生もままならず、2オペレーターFM音源9トラック(メーカーによってはPSG相当品)で楽曲と効果音をまかなっていた、本質的な意味合いでのプレーンな「パチスロ」と出会う事ができたのは、1991年に読んだファミコン通信無くしてはありえないと感謝してます。

まあ、だいぶ人生変わったけどな。

修羅場も見たし。

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